天別豊姫神社

狛犬

左の狛犬は頭部がありませんでした

大鳥居を潜ると左に
手水舎


手水舎の手前に
豊姫神社の説明板が有りました

  詳 細
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深安神社めぐり 

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 手 水 舎
 神 門
 絵 馬 舎
 清瀧神社
 稲荷神社
 天別豊姫神社
 皇 神 社
 地 図

地 図

拝殿の向側に、皇神社への参道

本 殿

参道右側の境内社

絵馬舎

神 門

太鼓橋を渡ると正面に二社が祀られている

国道313号線沿いに天別豊姫神社の看板

拝殿前の狛犬

本殿前の狛犬

天別豊姫神社拝殿

参道左側の境内社

神門からの参道階段
正面上は絵馬舎

社務所

「深安神社めぐり」で宮司さんが常駐しているのは、ここ 天別豊姫神社のみ

天別豊姫神社は「深安神社めぐり」の1番目の神社

【住所】
   福山市(旧深安郡)神辺町大字川北甲142−2
【祭神】
   豊玉姫命、速進雄令、事代主命、
   〔相殿神〕吉備津彦命、火之加具土神
【例祭】
   十月第四日曜日(旧例祭日十月二十日)
【由来】
   創立年代不詳。上古当地方が穴の海と称せられていた頃、綱付岩上に斎祀されていたと伝えられる。
   崇神天皇御字、神戸が定めてられた時、この地を神戸として本社の神地とされた。元慶二年(878)
   神階を従5位上に進められ、また、『延喜式』の神名帳にその名を記載されている式内社である。
   建武二年(1335)浅山備前守が備後守護職となり、黄葉山に城を築き、網付に祀られていた当社を
   現在地に黄葉山山腹に還し奉って、鎮護の神となし、神田十五町を寄進、崇敬の心篤かった。その後、
   水野勝成により城が福山に移されたといえど、歴代藩主の崇敬尚篤かった。明治六年、郷社に列せられ、
   昭和十五年県社に昇格した。大正三年、川北村字掛の吉備津神社を合祀する。なお、社名は後世に
   なって神辺大明神とやばれるようなっていたが、明治二年に古称に復した。

  深安二十六社神社めぐりより転記||

拝殿前

分岐からの参道階段

稲荷神社本殿うしろの
稲荷神社

稲荷神社本殿

拝殿内からの本殿

稲荷神社への入口

参道階段を上ると分岐

先ほどの稲荷神社の参道もここで合流

絵馬舎からの参道階段

絵馬舎の右は、稲荷神社への参道

  参道の詳細

清瀧神社

絵馬舎の左は、清瀧神社への参道

社務所前の参道
大鳥居の向こうは神門

参道脇の神池に架かった太鼓橋

国道313号線からの参道入り口

天別豊姫神社:境内からの稲荷神社

神社の広い駐車場
正面は参道

稲荷神社拝殿

奉納されている絵馬

参道階段右側

手水舎前からの参道
大鳥居の右には社務所

境内に沢山の絵馬が奉納されています

二社の説明板

手水場

大鳥居前の狛犬

天別豊姫神社境内からの絵馬舎、左側 赤い手摺は稲荷神社への参道