櫻山神社

この社は吉備津神社 参道右奥に鎮座しています。
 吉備津神社の境内社で、桜山茲俊命を御祭神としています。
 桜山茲俊命は亀寿山城主宮氏の一族で、この山に本拠を構え桜山氏を名乗ったと思われます。
 「元弘元年(1331)9月、茲俊公は楠正成公に呼応して備後に挙兵し一宮を城郭としてたてこもり、近隣の豪族達を味方につけて一時は備後半国を支配し、備中や安芸へも進出するほどの勢いを示しました。ところが、頼みとする笠置が落城し後醍醐天皇は幕府に捕えられたので、味方から見放されついに二十余人の郎党だけとなり、やむなく人手にかかって屍をさらすよりはと、一宮(吉備津神社)に入り、八歳になる愛児と二十七歳の妻を刺殺して、社壇に火をかけ、郎党ともども自刃しました。」
 そこで土地の人々はその最後を哀れみ、長享2年(1488)頃、城跡に桜山神社を建立して茲俊を祭神としたが、明和2年(1765)に暴風のため倒壊、現社殿は明治44年(1911)桜山城跡から移築され再建したものです。
    
    備後 歴史 雑学 より

境内を見下ろす
桃太郎 像

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御池の脇に、櫻山城跡の説明書きがありました

本 殿

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備後一宮吉備津神社 駐車場からの櫻山神社 境内

左上に桃太郎像

境内の右側に
手水石と百度石

拝殿からの本殿

石碑と櫻山神社

拝 殿

狛 犬
大正3年(1914)6月建立