素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)

神輿庫

本 殿

拝殿前からの神楽殿

拝殿からの幣殿内

神楽殿からの拝殿

神楽殿に奉納された絵馬

沢山の絵馬が有りましたが、鳥よけネットで写真がすこしボケました。

手水舎

注連柱と随神門

神楽殿

毎年「祇園祭」には三体の神輿が飾られます。

(素盞嗚神社の創建が西暦600年代と伝えられており、「祇園祭」はそのころから行われていたと考えられています)

拝殿内にも沢山の絵馬が奉納されていました。

拝殿入口

随神門からの参道入り口

随神門前の狛犬

福塩線の新市駅から東に徒歩で約15分、西駐車場前に素盞嗚神社の看板

前の橋を渡れば北門、更に向こうの橋は中門(相方城城門)入口。

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地 図

本殿右側の境内社
天満宮

右奥は北門(相方城城門)

本殿左側の境内社

蘇民神社と疫隈國社

社務所

拝殿前の狛犬

拝 殿

手水鉢

随神様

大鳥居と随神門

「備後風土記」によれば 昔 素盞嗚尊がこの地を旅されている時、一夜の宿を求めて大きな屋敷を構え栄えていた弟の巨旦将来(こたん)を訪ねたが断られた、次に兄の(そみん)を訪ねたところ蘇民は貧しいながらも快く宿を貸し温かくもてなしました。
年を経て、蘇民将来は素盞嗚尊より疫病厄除けの茅の輪を授けられ、この地に恐ろしい病が流行った時、蘇民将来の一族は病にかかることなく生き延びることができました。
この伝承が基となり、素盞嗚尊をお祀りしている神社では「茅の輪くくりの神事」が行われるようになりました。

石碑より転記

境内はよく手入れています

御輿庫に納められている
神輿

手水鉢を支えている鬼。

これは ??

随神門からの参道

正面に神楽殿
右に手水舎、

所在地  広島県福山市新市町大字戸手1-1

『北海に坐します武塔神…南海に出てまししに日暮れぬ。その所に将来二人ありき、兄の蘇民将来、甚く貧しく弟の巨旦将来、富みて屋倉一百ありき…(備後風土記逸文)より』
この附近一帯を疫の隈という。
蘇民将来「茅の輪」伝承発祥の地として、文献上最古の記録を残すほか「疫隈の国社」として延喜式神明帳にみえる古い歴史をもっている。
境内案内板 武塔天神は祇園牛頭天王とも称されるほか建速須佐之男(古事記)(日本書紀では素盞嗚尊)と記された出雲神話の祖である。
明治初期までの神仏習合の一時期「早苗山天龍院天王寺祇園社」と呼ばれた事もあり、早苗の松の伝承を残した。
本社は備後三祇園の一社で七月の祇園祭りは備後地方の夏祭りとして有名であり祭り終了日の深夜、吉備津神社よりの「無言神事」が今も行われている。
建造物のうち道路側の楼門は相方城(天正年間・一五八〇年ごろ)の城門を移築しており当時の建築様式を知るに貴重である。
『茅の輪くぐり』(旧暦六月三十日、直径約二メートルの茅の輪をつくり無病息災・厄除けを願って茅の輪をくぐる行事をいう)
<本殿>…入母屋造・千鳥破風・桧皮葺
<拝殿>…入母屋造・向拝付唐破風
<西城門>…二重楼門
<鳥居>…明神鳥居

      新市町観光協会ホームページより

今日は西駐車場から5分。
福塩線 上戸手駅から約5分の、東側参道から参拝。