世羅八幡神社(せらはちまんじんじゃ)

  所在地  広島県世羅郡世羅町小世良328
 世良八幡神社の由緒
世良八幡神社は貞観二年(八百六十年)世良彦社に八幡大神を併せ祀り世良彦八幡宮とも唱えている。
世良彦命は、孝靈天皇の皇子五十狭芹彦命並びに若建彦命が吉備の地を征定し給いし時その部下として世良郡の郷土執政役郡司として地方開拓の任に当り部落生民の基礎を開いた一偉人英雄の士であるという、三代実録(藤原時平勅選)には、世羅郡を世良郡と記せり又地方を郡元と伝いふるも、この地方を世良彦命が開拓創業せられしことが原因するのである。
即ち小世良(おせら)は御世良の敬語が転じたものである。
当神社の宝物中の「宮内額」に当郡宗社と裏に大治二年作(千百二十七年)とありて、世羅郡の郡司も代々当神社を当郡の宗社として崇敬厚く郡民も又、これに習い尊敬浅からざりし故に額面にこの文字があるのである。
その後は、武門の崇敬最も厚く明応九年(千五百年)下見加賀の守、宮殿改築する。
また永正十三年(千五百十六年)沼井築後守右衛門大夫毛利元祐、松平従四位綱長公の諸氏、社殿の造営修復を行ったと棟札の記録による。また石鳥居は、延宝二年(千六百七十四年)に建立され、江戸時代のものでは郡内最古の記年銘を有する。
其の如く古くより地方開拓の恩人世良彦命は地方の先祖であり氏神である。
    境内案内板より
 国道184号線と並行している市道沿いに、大鳥居と世羅八幡神社の案内板
 境内入口の大鳥居
 大鳥居を潜ると石垣の上に絵馬殿
 絵馬殿の両側に参道階段
 拝殿側からの絵馬殿
 絵馬殿には沢山の絵馬が有りました
 絵馬殿の東側からの拝殿
 西側からの参道階段
 手水舎
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 拝 殿
 狛 犬
 拝殿入口前
 拝殿入口に掛けられた絵馬
 拝殿入口に掛けられた絵馬
 拝殿からの絵馬殿
 本 殿
 拝殿全景



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