水呑八幡神社(みのみはちまんじんじゃ)

  所在地 広島県福山市水呑町西郷1794 
この神社の縁起が面白い。創建は永禄十三年(1570年)8月とされるが永禄十三年は4月23日で元亀(げんき)へ改元している。それまでの水呑村は、瀬戸町長和に鎮座する福井八幡神社の氏子であったが、秋祭りで喧嘩が起こり水呑の若衆が福井八幡のご神体を奪って逃げたのだ。福井八幡から峠を越えれば水呑村の洗谷だ。ご神体を取り戻すために追う長和衆も必死だ。追いつかれそうになった水呑衆はご神体を隠した。騒ぎが落ち着いてからその場所へ水呑八幡神社を建てた。しかし水呑の中心地からは遠く、あまりに不便なために現在地へ遷座させたとある。旧社地には石碑が建てられている。平井隆夫氏は「おもしろふくやま史」の中で、数村合同の神社では、力を付けた村は独自の神社を欲しがっていた。同じようなご神体の奪い合いが坪生庄新中八幡社でも起こり、水呑衆はそれを知っていて機会をうかがっていたのではないかと記されている。奪われた新中八幡社と奪って創建された大門八幡神社、また訪ねてみたい。庄園が解体された時代のことである。祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、いわゆる八幡神だ。本殿は三間社入母屋造、向拝付き銅板葺き屋根。拝殿は五間社入母屋で本瓦葺き、向唐破風向拝を持つ。現在の本殿は明治三十六年に再建されたものだ。
    備後の歴史を歩くコミュの水呑八幡神社より
 狭い市道を進むと前方に大鳥居
 

参道を兼ねた市道を跨いでいる大鳥居
 大鳥居を潜ると前方に二つ目の大鳥居
 二つ目の大鳥居
 参 道

注連柱の左右外側に狛犬が鎮座していました
 狛 犬

右の狛犬の顔面が削れていました
 参道階段を上がると正面に拝殿
 境内からの参道入口方向
 手水鉢
  手水鉢からの神社全景
 拝殿入口
 拝殿内
  拝殿内の天井に取り付けてありました
 絵 馬

他にも沢山ありました
 拝殿からの幣殿
 本 殿



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