「深安神社めぐり」の 8 番目の神社

拝 殿

随神門

大鳥居

随神様

大鳥居からの注連柱と随神門

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深安神社めぐり 

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四 川 ダ ム
大 谷 池

県道21号線からの
賀茂神社

境 内

社務所

本 殿

拝殿内
格子戸の隙間から覗かしてもらいました

拝殿前の用水鉢に凭れている狛犬

随神門前の狛犬

手水舎

石碑に何が書かれているか分かりません

旧道脇の注連柱

地 図

随神門からの拝殿

参拝者用の広い駐車場

【住所】
   福山市加茂町芦原三三五
【祭神】
   別雷命、天忍穂耳命、天津彦穂積瓊瓊杵命、[相殿神]玉依姫命、
   応神天皇、神功皇后
【例祭】
   十月第三日曜日(旧例祭日十月二十八日)
【由来】
   貞観六年(八六四)京都賀茂別雷神社、賀茂御祖神社の御分霊を勧請したと伝えられる。天喜二年
   (一〇五四)日向の高千穂より天忍穂耳命、天津彦穂積瓊瓊杵命の二柱を勧請合祀、保延三年
   (一一三七)には宇佐八幡宮より八幡大神(応神天皇、神功皇后)を歓請し、それ以来八幡宮と称した。
   古代には国司、中世には領主、近世には代官並びに藩主の崇敬篤く隆盛を極めた。往古、社殿に
   ついては、上下二社に祀っていたと伝えられるが、戦国時代に破壊し、毛利氏の時より一社に祀った
   という。その後、元禄六年(一六九三)現在の社殿を造営した。社領百二十貫を擁し毛利氏も社領
   四十八町を寄進したが、福島氏により没収された。喜永四年(一八五一)福山藩主阿部正弘の祈願社と
   なった。明治五年、粟根、芦原、中野の村社となり、昭和五年郷社に列せられた。昭和三十九年
   (一九六四)に、千百年祭斎行。加茂の大宮と呼ばれ親しまれている。
   
        広島県神社庁 深安二十六社神社めぐりより転記||

賀 茂 神 社

社務所前の
ケヤキ

鳥居前、旧道脇に太鼓橋が架かった御池

大鳥居後ろの狛犬