山手八幡神社
地 図
拝殿から本殿へ
参道中途の大鳥居
正面には随神門
鳥居前右には木野山神社が鎮座
所在地 広島県福山市山手町矢田3465
山手八幡神社の社家である世良家に残された古文書がある。それによると大体次のようになる。「行教(ぎょうきょう)」という平安時代の僧侶が、天安2年(858)清和天皇の即位を祈祷するために豊前国宇佐宮へ派遣され、見事に即位が成ったので貞観2年(860)に宇佐宮から京都男山に宇佐八幡神を勧請して男山八幡宮を創建した。
京都男山八幡宮(現、石清水八幡宮)を創始した清和天皇の血脈は源氏に繋がり、源氏の守護神となり、全国に八幡神が分霊されていった。
京都の地図を見ればよくわかるが、京都御所を中心に鬼門とされる北東(艮)方向には比叡山があり、延暦寺に守護させた。一方、裏鬼門とされる南西の方向に男山が位置し、ここに宇佐より勧請した八幡神を創建し守護させた。実際にその御分霊を豊前から山城国に運んだのが行教なのだ。
その大分県から京都へ向かう行教が備後国沼隈郡山手村で神泊し、その地に地元住民が社殿を建立したのが今日の山手八幡神社というわけだ。この後は神社は老廃し、また失火により神社記録等焼失している。弘治元年(1555)に山手村城(銀山城)に居住する毛利方、杉原豊後守匡信が神社を再興し、元和4年(1618)に山手、郷分の郷人が集って社殿を修理している。延宝4年(1676)に拝殿は建立された。棟札の写しとして元禄10年(1697)6月28日、寛延3年(1750)11月のがあると天保4年(1833)5月に山手八幡宮世良豊前氏が記している。
備後の歴史を歩くコミュの山手八幡神社より転載
右側妻の妻飾り
左側妻の妻飾り
本殿の妻に飾られた妻飾り
拝殿前からの大鳥居
拝殿内に沢山奉納されている絵馬の一部
拝 殿
手 水 舎
拝殿前の狛犬
随神門内に納められている狛犬
随神門内に納められている随神様
随神門からの拝殿
随神門
参道入り口の大鳥居
拝殿と灯籠
砲弾が写っているが、これは何かの慰霊碑だと思う
山手八幡神社
全 景
本 殿