羽賀八幡神社について

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羽賀八幡神社(はが) 福山市御幸町羽賀に鎮座する。

 三原市大和町蔵宗を源流とする芦田川。府中市から新市を通り、ほぼ東へ向かって流れてくる。右岸、郷分町石原、左岸、御幸町中津原の地点でその流は大きく南へ回り込むように変えて、後は一直線に瀬戸内海を目指す。その郷分側で岬のように突き出た突端の小高い場所にこの羽賀八幡神社は鎮座している。
 もとは郷分町石原「平ヶ垰」に八幡神が祀られていたという。それを羽賀茶臼山城主羽賀弾正中津三郎が城の守護神として祀っていた。備後古城記には「中津原村茶臼山 羽賀弾正、同 中津三郎」と記されているが、羽賀茶臼山とは岬部分の山をいうのか、現在の神社の鎮座地をいうのかは私の資料ではわからなかった。
 しかし、郷分町石原に鎮座する日和神社で書いたが、平ヶ垰にあったのは「妙見さん」で八幡神が祀られていたというのは羽賀八幡神社の縁起で初めて出てきたもので、こちらもそれ以上はわからなかった。羽賀弾正が滅亡し祭主を失って老廃していたものを三好貞助七郎左衛門が天正15年(1587年)に現在地に社殿を建立し遷座したとある。
 また福山志料には永享4年(1432年)の銘の入った鰐口(わにぐち、拝殿につるしてある鈴)があるとも記されている。羽賀弾正中津三郎はこの室町時代の人物なのだろう。
 社殿は一間社流造り桟瓦葺きの本殿と、五間社平入り切り妻造りの拝殿を持つ。こちらも桟瓦葺きだった。広島県神社誌には祭神として神功皇后、応神天皇と、もう一柱、玉依姫が記されている。玉依姫で有名なのは初代神武天皇の母親であるが、ここではそれはなく八幡神であれば宗像三女神だと思う・・・。
 境内の突端に自然石が祀ってあった。それは御座所といわれ日本武尊にちなむものだ。横尾町に鎮座する岩明神社には日本武尊の腰掛け石があり、新市町には先に紹介した日本武尊神社もある。吉備穴海は日本武尊の伝説の地なのだ。
 氏子は中津原羽賀地区で、中心地は芦田川の川向こう東側にある。秋祭りでは御輿は芦田川を渡りこの神社までやってくる。
 近くには謹年堂と称される宝形造りのお堂があった。由緒書きによると大雨のおりに芦田川を上流から屋形船に乗って堂宇が流れてきた。中には左甚五郎作の観世音菩薩があり、羽賀茶臼山城主、羽賀弾正中津三郎が発願し建立したとされる。
 明治6年に、京都三十三間堂の棟札にも名前が記されている江良村の大工服部興八郎に頼んで建てたものらしい。大正11年に大修復され、昭和59年には屋根を銅板に葺き替えられている。
 また、左甚五郎作のご本尊は33年ごとのご開帳だそうで、前回は平成8年(1996年)3月18日だった。次回の予定は2029年だ。生きていれば見てみたいものだ。産後、乳の出にくい人はここにお詣りに来れば霊験あらたか「乳を得る」と記されている。

        備後の歴史を歩くコミュの羽賀八幡神社(記事 あまの)より