眞 宮 神 社
観音堂
観音堂の向にお地蔵さん
本 殿
二つ目の神門
広場の中央に相撲の土俵
手水舎
大鳥居
拝殿の西側には社務所と観音堂
神門からの拝殿
手水舎の欄間に立派な彫り物が奉納されています
拝殿の東側には稲荷神社が鎮座
手水石
大鳥居からの神門
拝殿前からの二つ目の神門
拝殿前の狛犬
神門からの参道階段
正面には二つ目の神門
その手前 左に手水舎・右に相撲の土俵がある
厳島神社
厳島神社 前の石燈籠
道路脇の大鳥居その向いには厳島神社が鎮座
由 緒
当社は創立年代詳らかならざるも古老の□碑として伝ふる処に依れば、往時此地を蘆浦庄と云ふ。此頃品治宿禰当社を勧請したりと云ふ。通證「当社は国中の大社にして一宮(吉備津神社)、南宮(府中市・栗柄)、真宮と並びたる一社なりしが、何時の頃か洪水に社地悉く埋没したり。今も近辺田圃の中より祭器柱礎の類掘出す事あり。昔時華表のありし
處を今鳥井畑として地名に残なり。社内に古神像あり。一宮社内の艮巽の神に異なる所なく梢少なるのみ。是も嘗土中より掘出せしなりと云ふ。栗柄南宮神社にも同様なる古神像あり。里人の所謂三社の一と云ふも證あるに似たり、とあり。
明治初年神社朋細帳に挙げられ、明治五年村社に列し、明治四十年三月十九日幣帛神饌料指定神社となる。
眞宮神社の説明板より