多祁伊奈太岐佐耶布都神社(岩屋権現)
   「深安神社めぐり」の13番目の神社

【住所】
  福山市山野町山野原谷
【祭神】
  下道国造兄彦命、大穴母智命  摂社  赤浜宮稲田宿称命
【例祭】
  七月十九日、    十一月三日(旧例祭日 旧暦九月十九日)
【由来】
  広島県天然記念物の大磐の洞窟の中に鎮座奉斎されており、岩穴宮とも岩屋権現とも呼ばれる。
第二十一代 雄略天皇の御字の鎮座と言われ、日本三代実録(八五八~八八七の歴史書)に「陽成天皇の天慶二年備後国 多祁ノ伊奈太岐佐耶布都神社従五位下を授く」とある。一五〇〇年に及ぶ古社で、延喜式神明帳に記載された式内社である。御除地社地十二歩、山林五反歩、社殿の再建は寛平三年、 元禄六年、元文二年、赤濱宮は寛政十一年に行われた記録がある。神主家の寛文年中の出火、その後の改姓屋敷替などにより、古記録の文物が少なく、式内社であることすら消滅した時代もあったが、明治時代となるはじめ、戊辰年十一月十六日式内社として認承され、次いで阿部正桓藩知事の参詣があり、多種の武具や幕が奉納された。以後、社紋に阿部家の家紋を用いるようになった。明治時代に部落内の小社祀が当神社に合祀された。式内社でありながら、村社にもならず戦後を迎えた神社は他にないと思われる。社殿が洞窟の中にあり湿害もひどく、又上部の岩の崩落による被害が度々あったが、氏子により社殿の上に覆の屋根を作り、落石防止工事などが行われ、また祭礼の当番組により次代への継承の
形も出来ている。
    広島県神社庁 深安二十六社神社めぐりより転記||
車での参拝は県道418号線(坂瀬川芳井線)を左に分岐
  分岐の目印は
  幟と標識
徒歩で参拝は県道418号線(坂瀬川芳井線)沿いの参道階段と横の駐車場が目印
  県道からの参道入口
 

 大鳥居
  大鳥居からの注連柱
 

 参道は正面上方向
 

 参 道
  参道からの集落
  さらに参道を登ると杉林
 参道階段を上がると境内

下の道は車での参道へ続いています
  注連柱
  境 内
  拝 殿 
  拝殿内の絵馬
 拝殿内に岩穴宮の説明書き
 境内の案内板
 右側が岩屋権現の本殿
 左側は摂社の赤濱宮
  狛 犬
 手水鉢
 鍾乳石
 境内から参道を見下ろし



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