倉 神 社

神輿殿

神輿殿右の道は東側からの参道

注連柱からの参道階段と随神門

本殿西の境内には大小取り混ぜた自然石の山が組まれ、境内社が祀られている

狛 犬

左(手水舎横)の狛犬の足下に可愛い子狛犬がいました
子狛犬は大変珍しい

拝殿内には沢山の絵馬が奉納されていました

「深安神社めぐり」の 5 番目の神社

本殿の裏山には、いつの時代に作られたかも分からない古い五輪塔

境内からの景色

正面左の小さな山は昭和天皇が訪れた正戸山

随神門

【住所】
  広島県福山市加茂町下加茂一〇二六
【祭神】
  瀛津姫命、大己貴命、五十猛命、蒼稲魂命、少彦名命
【例祭】
  十月第二日曜日(旧例祭日十月九日)
【由来】
  承保元年(一〇七四)、に創建され、瀛津姫命、大己貴命、五十猛命の三神を祀り、社領
  五十貫を拝領。天文五年(一五三六)に蒼稲魂命、少名彦命の二神を合祀する。その後夭火
  により焼失したのを、神辺城主杉原忠興が天文年間(一五三二〜五五)頃に再建したと伝え
  られ、棟礼によると現存の本殿は、寛文二年(一六六二)に再建したことが知れる。社領は
  毛利氏によって三十六貫に減じられ、芸備藩当時福島正則により悉く没収されたと『水野記』に記す。 
  社名は古くには、倉大明神と称し、明治初年に至り倉宮神社或いは倉大明神と遍遷し、昭和
  二十七年(一九五二)より現在の倉神社となる。『西備名区』に、「膽殖屯倉(いえのみやけ)
  の跡にして、古の御蔵所と云い伝ふ」と、また『福山志科』にも「阿那国膽殖屯の跡なるべし」
  と考証してあり、神社名「倉」との拘わりが伺える。明治十六年(一八八三)、石段を整備、
  大正十五年から昭和六年にかけて大修改築がおこなわれ、境内が整備された。

       広島県神社庁 深安二十六社神社めぐりより転記||

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深安神社めぐり 

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境内社
 左 : 若宮社
 右 : 稲倉魂命
     植山姫命
     天照皇大神
     大己貴命
     少名彦命

社務所

本 殿

拝殿前からの随神門

拝殿内

拝 殿

随神門からの拝殿

東側からの参道入り口
車で境内まで行けました

参道入り口の大鳥居

鳥居の下には駐車場の案内板

地 図

大鳥居からの注連柱

手水舎

加茂中学校西からの倉神社

随神門からの大鳥居

左上の白い大きな建物は加茂中学校