正 戸 山

境内からの展望

地 図

正戸山城跡に建造された石鎚神社

御統監之碑

登山道

登山道

登山道入口付近

県道181号線からの登山道入り口

境内広場

石灯籠と百度石
左には正戸山についての説明書き

昭和五(1930)年十一月十四日 陸軍特別大演習の際、昭和天皇が愛馬吹雪号から下馬され徒歩で山頂へいかれた

参道の左手に御下馬所跡

参道を登ると注連柱

御下馬所跡

所在地
 広島県福山市御幸町
正戸山
 正戸山は、神辺平野の中央部、御幸町上岩成の北東部に位置し、標高49メートル
平野部からの高さは34メートルで山頂からは神辺平野を一望に見渡すことができます。
 正戸山城
南北朝時代に、足利尊氏から備後国守護として下向された岩松頼宥によって、正戸山の
山頂に築かれたと伝えられる山城が正戸山城です。戦国時代には、尼子方の宮氏が
居城していましたが、1552年 (天文21年)、毛利元就の軍勢の攻撃を受け落城し、
毛利軍の城となりました。江戸時代に入り、一国一城令により廃城となりました。
 昭和天皇行幸
1930年(昭和 5 年)昭和天皇が行幸され、正戸山の山頂から視察統監される中、
岡山方面から来る東軍と広島方面から来る西軍が正戸山南方で決戦する想定で、陸軍特別
大演習が行われました。昭和天皇の行幸を仰ぐため、当時の両備軽便鉄道(現JR福塩線)
では、正戸山臨時駅を設置しました。
大演習から5年後の1935年(昭和 10 年)、昭和天皇の御野立所となった正戸山
の山頂に記念の石碑「御統監之跡」が建てられました。
 四ヶ村合併
1938年(昭和13年)深安郡上岩成村、下岩成村、森脇村、中津原村の四ヶ村が
合併し、昭和天皇の行幸を記念して村名を御幸村と名付けました。これが御幸という
地名の由来です。
 正戸山城跡公園
御幸町の住民は、正戸山城跡を、ふれあいの場、歴史教育の場、健康づくりの場など
市民の共有の財産と位置付け、市民が参加協働し、憩い集うことが出来る公園として
環境整備をしています。
そして、御幸町や周辺地域の人々が心の豊かさと相互の交流を築いて
いける場として、後世へ伝え残しています。
 活動団体
  正戸山を愛する会

史跡・名所
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下曽根荒神社

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登山道から参道へ
  ミッキーマウスの出迎え

東南方向から見た正戸山