二 宮 神 社
神社全景
県道189号線から直接車で境内まで入れます
「深安神社めぐり」の23番目の神社
三個目の参道階段
本 殿
最初の参道階段
県道189号線から来ると上の駐車場まで入れる
神 門
大鳥居からの参道
右は葛原しげる旧宅
参道入り口の大鳥居
【所在地】
広島県福山市神辺町大字尋1203
【祭神】
吉備津彦命、大倭根子彦太瓊尊(孝霊天皇)、細比売命、吉備武彦命、稲田姫命
【例祭】
十月十日(旧例祭日 旧暦十月十九日)
【由来】
創立年代不詳。古来当地には稲田姫命鎮座の処へ、備後一宮(吉備津神社)より匹座を再勧請して
合祀し、二宮五社大明神と称し、備後二宮として人々の崇敬をうけていたが、慶応四年の神仏分離令に
より二宮神社と改称された。参道西側にある蓮乗院(真言宗大覚寺派)は神宮寺であり、五躯の
仏形御神体は現在蓮乗院に祀られいる。『水野記』によれば、古来社領七十貫、社職十六人、末社、
廻廊、鐘楼等を有する大社であったという。神辺城主杉原盛重(一五六〇年頃)の時、社領二十五貫に
減ぜられ、更に毛利元康(元就の第七子)の時に悉く没収された。社殿は天文三年(一五三四)火災に
遭い、元禄九年(一五六六)に再建され、杉原盛重等により上記の御神体五躯(栴壇製)が寄進されて
いる。その後、元禄八年(一六九五)水野勝慶(勝成四世の孫)により社殿を再建され、明和元年
(一七六四)石鳥居を建立。寛政四年(一七九二)随身門の再建が行われたが文化四年(一八〇四)
再度火災に遭い、文政十三年(一八三〇)現本殿を再建立した。なお、昭和二十八年(一九五三)に
弊殿、拝殿の新築を行い、昭和五十四年本殿の屋根を銅板に葺替工事。昭和六十三年、本殿並びに境内
の改修工事が行われた
広島県神社庁 深安二十六社神社めぐりより転記||
県道102号線からの二宮神社と蓮乗院
狛 犬
階段を上がると正面に拝殿
注連柱からの参道階段(二個目)
注連柱と左には二宮神宮寺の石碑
左の建物は蓮乗院
蓮乗院の詳細
神門からの参道
二宮神社参拝は直進
左は蓮乗院への参道
看板から数十メートルで駐車場、手前には「二宮神社」の手水石と大鳥居
市道の三叉路にある「葛原しげる」旧宅の看板通りに進む
県道189号線を井原から神辺方面に進むと坂の頂上付近に「二宮神社」の標識
今回はもう一方の鳥居側から参拝
地 図
境内社
左は荒神社と出雲大社
右は稲荷神社
他にも沢山の境内社が祀られていました
拝殿前の手水場
随神様