蓮乗院(れんじょういん)

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地蔵堂

鐘 楼

 「広島県史」によると天平9(737)年の開基とされ、元は「神宮寺(じんぐうじ)」と呼ばれていました。菅茶山編纂の「福山志料」にも「八尋村神宮寺 圓久山真言宗偏照寺(備中国笠岡)の末寺」と記されています。古くから「蓮乗院」の東には「二宮大明神(現二宮神社)」が鎮座し、「蓮乗院」の前身「神宮寺」は、この「二宮大明神」を護る寺院としての役割を果たしていました。文化年間(1804〜1817年)の火災で大部分を焼失し、その後再建されます。現在の本堂は明治14(1881)年4月1日に建て替えられたものです。
 ここには、もともと「二宮大明神」のものと思われる阿弥陀(あみだ)・薬師(やくし)・虚空蔵(こくうぞう)・毘沙門(びしゃもん)・観音(かんのん)の5像が安置されています。それぞれの背面には古い墨書きが残り、阿弥陀には「大旦那 平氏杉原盛重 願主勢賀 守護」、薬師像「・・・永禄九年三月一日・・・」、虚空蔵「代官 藤原倉光重信」、毘沙門「権小僧都勢賀」、観音「諸旦那等」と記されています。墨書きの内容や像の大きさ、彫りの様相などから見て、永禄9(1566)年前後の同時期に当時の神辺城主(大旦那)・杉原盛重や、その家臣(諸旦那等)らによって「二宮大明神」に寄進されたものと思われます。「蓮乗院」へは明治元(1868)年に移されたとそうです。また、その素材は栴檀(せんだん)と言われ、昔この地の人々は同じ素材で作った下駄は履かない習慣があったそうです。

  福山市ホームページより

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二宮神社の参道から分かれて数十メートルで蓮乗院の参道入口

本 堂

境 内

境内入口